中学生の絵を見る(札幌)
2011年9月9日
2011年1月15日札幌で「第3回 子どもの絵を見る会」が開催されました。これについて山崎正明(北海道@千歳市立北斗中学校)がレポートします。
この『絵を見る会』は、小学校、中学校の授業で生まれた作品を互いに見るという ごくシンプルな しかし美術教育の本質に触れる大事な会になっていくと思います。さて、ここでは、札幌の舘内さんの指導から生まれた作品について紹介します。中学校3年生の作品ですが、表現技法がまったく違います。透明な描法も、不透明な描法もあります。遠近の表現も様々です。
このようなことが可能なのは、3年生になるまでにどんな力を身につけさせ、どうに発揮させるかまでを見通しているからです。そしてもうひとつ、何より注目すべきは、子どもが「ここを、こんな風に描きたい」(自分のお気に入りの場所)と強く思う授業をつくっているということです。
それぞれの絵について舘内さんに質問をすると、その絵を描いた生徒の思いを説明してくれます。教師が絵を通して子どもと対話し、子どもの発信をしっかり受信しているからすぐに説明できるのです。小学校と違い、中学校では 指導している生徒の数が多いので、意外と生徒の思いまで受けとめるまでには至っていないこともあります。
さて上の絵を見てください。これは、野球部の子が描いた作品です。もうこれだけで、北海道の先生なら何を描きたかったのかピンと来るでしょう。この絵を見ていた札幌の塚野校長(もと野球少年)は「そうなんだよ、このバックネット裏ね、冬期のこの時期の練習が大事なんだよなあ」と深く、深く共感するのでした。つまり自分の知らない中学生の絵を見て大人がその思いに触れ「共感」して笑顔になっているんです。
この絵は、理科室を描いている事はわかります。鞄が置いてあるのは?舘内さんに伺うと、「これは卓球部の生徒の作品。卓球部の顧問が理科の先生なので、卓球部の控え室は理科室なんです。本当はこのからだと月はここに見えないんですけどね」よく見ると窓には雪がついています。冬場の部活動はすぐ暗くなってしまいます。こんな風にこの絵を見ていくとこの生徒がどんな思いで部活動をしていたのか、想像してしまいます。いいなあ、中学生!って思いました。「低学力」?「ゆとり世代」?中学生をそんな視点からしか捉えないの?
学校教育の中で中学生のデリケートな心情に触れることが出来るのは何といっても「美術」でしょう。あとは「国語」でしょうか。美術教育のこうした価値を知っていれば、「なくてもいい」とは簡単には言えないだろうと思います。「絵画」がコミュニにケーションツールであるなら、この「共感」の姿勢は欠かせないでしょう。
これらの絵は「今を生きる中学生」が伝わってきます。これは自画像と言ってもよいと思います。
あー、この「絵を見る会」に参加できてよかったあ!でもひとつ、もったいないことが、ありました。それは石川さんの指導した絵が時間不足で話題にならなかったことです。私は気になった絵があって、そのことをあとで尋ねました。そこには深いお話がありました。「美術教育は生徒理解や生徒指導の力も持っていますね、」と他の方から言っていただけるような授業だと思いました。
さて、ややもすると 美術教育の研究会で話題になりがちなのが、どのような条件付けをして描かせたらこんなに立派な作品ができるのか、とか、どんな技術指導をすればいいのかとか、そんな話が中心になりがち。そんな話し合いから見える中学生の姿は「集中していた」「頑張っていた」などになることが多い。でも、絵を通して身につける力は「集中」とか「根気」ではないはず。ただ、荒れていて大変な状況下では仕方がない場合もあるでしょうけど。
さて、最後に書いたような問題。それは岐阜の中学校の先生方も指摘しています。「Blog 美術と自然と教育と」
(記事 山崎正明@北海道)
レポーター:山崎 正明